源氏物語なんか怖くない(16)−「平安時代の真実(一)」(2012.2.15)
写真:「関屋」伝土佐光則筆
もし平安時代に行くことができたら……などとは、実は私は、まったく考えません。招待されても受けるかどうか。はるか向こうから眺める程度ならいいでしょうが、そこで住みたいとは思いません。
平安時代は、どんな時代だったのか。
まず、寒い。
源氏物語や枕草子ではよく、雪が降っています。降るだけではなく、積もった雪がなかなか溶けない。今でも冬の京都は寒いのですが、平安時代はもっと寒かったようです。
源氏物語には、雪の場面がいくつもあります。
そのひとつは、末摘花の巻。
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末摘花は世の中から見捨てられたように、ひっそりくらす皇族のお姫様です。そこにひそんで行った光源氏は、いろいろあって、それでも彼女の顔をちゃんと見てはいません。
しっかりとそのお顔を拝見したのは、雪の積もった早朝です。庭の雪景色をながめる源氏。まだほのぐらいなかに、雪明かりに照らされた源氏はますます若々しく、美しく輝いています。そこに奥から、おそるおそる登場したのが、内気なお姫様末摘花。
彼女の容貌についてはひとまずおいて、この高貴なカップルは、明け方の冷え込みのなかで、直接雪に覆われた庭を眺めているのです。ガラス戸などは無しで。
それで平気なんですね。
雪景色を楽しむことができるのは、貴族の条件かも知れないと思うのです。庶民はただ寒いだけなのに。
この前夜、雪の激しく降るなか末摘花の屋敷を訪れた源氏は、こっそりと中をのぞきこみます。
そこでは女房たちが、寒さに震えています。気のきいた連中はもうどこかに再就職していますから、残っているのは、行くあてのない、気もきかなければ頼りになる親戚もいない、といった人たちばかり。それがグチをこぼしながら、残り物かなにかを食べている。
貴族が雪を楽しむことができるというのは、栄養をとっていて、ちゃんと着物を着ているからかも知れません。
ちなみに源氏は、のちほど末摘花邸の使用人たちに、たっぷりの衣類を届けさせます。お姫様と仲良くなるというのは、こうした経済的負担を伴うわけです。こうしたことがちゃんとできるから、光源氏はエライ、ということになっています。
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同じように、ご主人は座敷の中からのんきに雪を見ているという場面が、朝顔の巻にもあります。
冬の夜。雪景色に月が冴えわたって趣があるなどといって、源氏は紫の上といっしょに庭を眺めています。池には氷がはっています。
それどころか、わざわざ屋敷の童女たちを庭におろして、雪遊びをさせています。それを源氏と紫の上が見ながら、あれこれ物語をしている。
しみじみと夫が言います。「昔はオレも女遊びなどしてお前にずいぶん苦労をかけたが、これからはもう……」。
のどかな、老夫婦の風景、といった感じです。もっとも源氏はまだ三十代初めです。
作者には申し訳ないのですが、私は別のことが気になります。庭で遊んでいる童女たち。この子たちは、寝間着姿のようです。雪遊びといっても、手袋は無いでしょう。足もとはどうなのか。お金持ちで気配りもできる源氏のことですから、あらかじめわら靴をいくつも用意していたのでしょうか。いや、素足だったのかも知れません。
童女たちは、自分たちの楽しみとして遊んでいるわけではありません。主人の命令で、雪景色の風景をいっそう引き立てるように、庭に降りているのです。貴族ってやつは、ペットの犬を庭に放すような感覚なのでしょう。
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平安京の冬は、屋根の下に入らないと凍死することだってありました。
その屋根の下も、それほど暖かいわけではありません。風通しがいい。
寝殿造りの建物は、今なら大きなお寺か体育館を想像すればいいでしょう。座る所だけ薄い畳敷きで、ほとんどは板の間。夏なら涼しそうです。
そこで、素足で暮らしています。
当時の暖房は、火鉢程度です。しかし炭は高価ですから、庶民には縁がありません。暖房用に燃料を使うのはぜいたくです。もともと京都は都会ですから、ちょっと裏山で柴を刈ってくる、というわけにはいきません。わざわざ洛北の大原や八瀬の山里から大原女(おはらめ)が柴や薪を売りに来ます(ただし大原女は鎌倉時代かららしい)。
囲炉裏は北国の物ですから、煮炊きするかまどの火が、わずかばかりの暖房だったはずです。
蛇足ですが、「芝」ではありません。「芝刈り」だったら、桃太郎のおじいさんは、ゴルフ場かサッカー場に勤めていることになる。そうではなく、たきつけにする「柴」です。
家の中が寒いのは、もうひとつ、明かりとりのために戸や窓をあけておく必要がある、という事情があります。窓といっても、ガラスなどははま
はまっていません。閉める時は、板戸やむしろを下げます。
平安時代の末になると、和紙を利用して、風を防ぎながら外光が入ってくるという明かり障子(今ふつうに障子と呼びます)が発明されますが、
それまでは、風を防げば明かりもさえぎるという
状態です。
油も高価ですから、もし買うことができたら、食べた方がいい。つまり油を照明に使うのは貴族やお寺くらいです。基本的な照明は太陽光を使用。などというと最近は「自然に優しい」「エコライフ」などという表現になるかも知れません。
ただ人間は(あるいは日本人は)寒さには強いようです。兼好法師は、冬は何とでもなるから、夏の暑さに耐えられる家を造れと言っています。
訓練か環境か、慣れれば相当の寒さにも耐えられるらしいとはいいますが。
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実は、気象学の研究によれば、平安時代は暖かかったそうです。暖かいと米もたくさんとれ、社会も安定する。その豊かさが、平安貴族の文化を支えた。そういった説明です。
平安時代といっても年によって変動はあるでしょうし、京都という局地的な場所については、一般論では決められないでしょう。
なおもちろん、京都の暑さは、今も昔も変わりません。ちなみに私は暑いのも、嫌いです。
榎 英一
この「源氏物語なんか怖くない」は、『由源』(由源社発行)に連載したものです。写真は、宇治市源氏物語ミュージアムの許可を得て、同ミュージアム所蔵、伝土佐光則筆『源氏物語絵鑑帖』を掲載しています。無許可使用はできません。
